何をすべきか? 

 2月15日(日)。妹さんが母親と共に病院へ。私も昼に病院へ。途中でYの大好きな杏仁豆腐を購入。病室のYは、昨日とそれほど変わった様子はない。

 妹さんたちがパジャマの洗濯をしてくれていた。助かる。私が来たので、後を任された。口には出さないが、お母さんも辛かっただろう。テレビを見ながら会話。応答が緩慢でだるそうなのが痛々しい。たまに激しい咳も出る。

 点滴している薬剤の量が多いのでトイレも近いようだが、そこへ行くのも結構辛そうだ。ポツリポツリと会話を交わすのみで、それが励ましになっているのかどうか疑わしいが、それしかできない。

 Yはあと少し我慢すれば治るだろうと、あくまで前向きに考えている。もちろん治ることが望ましいわけだが、その先の道も平坦ではなく、どこまでも辛い治療が続くことを考えると涙が出る。

 3時を過ぎたので病室を出る。抱きしめて、「愛しているよ」という声がけをしたいが、どうしても出来ない。かえって何事かと勘ぐられてしまうように思える。今日は、酸素吸入も始まった。熱は相変わらず39度を越している。

 16日(月)。朝方上司に現状が厳しいことを連絡。どうしてもやらなければならない仕事をこなし、昼過ぎ私の実家に行き、母親と私の妹を連れて病院へ。

 この先、もし病状が悪化するならば、正常な状態で会話が成立するのは今日ぐらいかもしれないと感じたからである。

 途中Yの好きなコーヒーゼリーを購入。病院着2時半。昼ごろには妹さんが来ていて、洗濯を行い乾燥機に入れていってくれた。

 母親とともに病室へ。これほど頻繁に入れ替わり立ち代り家族が会いに来れば、Yもある程度は病状に予想がつくだろうとは思ったが、それを口には出せない。

 今日は、朝方寝ぼけた状態で解熱剤を飲みすぎてしまい、大汗をかいたようだ。しかしそのせいで熱が下がり、体調はそれほどひどくないように見える。

 母親も安心したようだ。しかしさりげなく検査結果を見ると、白血球は増えているものの、同時に芽球も増えているので、本当に一時的なものだと思えた。

 昨日買って持っていった杏仁豆腐をおいしそうに食べている。ふと、下手をするとこの姿も見られなくなる場合がくるかも、と思った瞬間目頭が熱くなってきた。

 音楽のCDを5〜6枚持っていった。なぜかハワイアンよりクラシックが聞きたいと言う。静かな音楽をという希望だ。

 昨年のハワイ旅行の写真や、今年に入ってから一緒に出かけた清水や息子と二人で出かけた平塚の写真も、SDカードにコピーして持参。フォトフレームで見られるようにした。

 この日はあちらこちらで涙が出そうになって困った。本人は健気に回復を信じている。しかし、これまでの経過や主治医との話から回復は難しいのではないかと思い始めた私にとって、その姿が逆に痛々しく思えてしまいつらい。

 しかし私が弱気になってはいけない。あくまで回復を信じ、出来る限り真心を込めてサポートしなければならないのだ。

 本人が一番辛いはずなのに、いつものように私の前では愚痴一つ言わず、明るく話をしているその姿に、奇跡的な回復を願うばかりである。


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