遺品について

 妻の死は私の生活や心構えに大きな影響を及ぼしていますが、入院中はいずれは病気が治り、もとの生活に復帰できると信じていたので、妻が使っていた衣服や家具をそのままにしてありました。

 しかし願いもむなしく1年前、妻が他界し、それらはすべて遺品となってしまいました。交通事故や自然災害等による突然の家族の死亡も同じだと思いますが、故人が使っていた遺品は、すべて思い出がつまっていて、おいそれと処分するわけにはいきません。

 さりとて、そのままにしておけば埃が積もり、キラキラ輝いていたアクセサリーやノリの効いた衣料品も歳月と共に徐々にくたびれていくのは目に見えています。

 手元に置いておいて故人を偲びたいと思う反面、いつまでも置いておいても、年月と共に邪魔になるだけだな、というやるせない気持ちもあります。

 私の父親は今から30数年前に、突然の心筋梗塞で急逝しましたが、そのときも母親は遺品の処分に困り、年月と共に朽ち果てた物を除いて、今もいくつかの思い出の品をどこかに保管してあるようです。

 しかしそれとて母親が亡くなれば、私にとっては30数年前の取るに足らないものに成り代わる可能性が強いです。

 そう考えると、いくら物をため込んでも、死後に持っていくわけにはいかない以上、最後は無駄になり、なおかつ遺族に負担をかけるだけだなと思うようになりました。

 一時の感情に流されて、あれが欲しい、これが欲しい、あれが安い、これはお得だ、あれは便利だ、これは古くなった、という風に次から次へと物を増やしていくのは、物欲は満たされますが、本当の意味での充実感は得られません。

 自分の生活にとって本当に必要な物は何だろうか。自分の子供も使えて、子供がこれなら残してあっても問題ない、という視点で見ることが出来るような物を、これからは考えていかないといけないなあ、と最近つくづく思うようになりました。


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