妻の他界後、職場ではいろいろな方から配慮を頂き、大変ありがたい思いをしました。また近所の方も、我が家の状況を知っている人は、何かと気をつかってくれているようで、直接私にどうこうということはないのですが、これまで挨拶一つしなかった方から声をかけられたりしました。
また息子の友人のお母さんからは、息子に対して何かと気をつかってもらい、遊びに行ったときなど、お菓子をもらって帰ってきたりしています。
私自身はこれまで仕事の関係で1日中家を出ていましたし、休日ともなれば家庭菜園かどこかに遊びに行くということを繰り返していたため、近所の方とは挨拶のみで、ほとんど会話を交わしたこともありませんでした。
しかし、改めて近所づきあいは大事なんだなと思わされました。別に互いのプライバシーを詮索してどうこうと言うことではなく、単純に何かあったときは互いに助け合う必要があるんだなという認識を持ちました。
一方、職場や近所づきあいとまったく別の人間関係も意識するようになりました。それは妻自身の交友関係です。
葬儀の際、多数の方に参列を頂き、その際自己紹介も受けましたが、なにぶんにもショックが大きく、また葬儀そのものの実施に神経をすり減らしていたこともあり、ほとんどの方は名前しか意識しませんでした。
もちろん普段から妻が親しくしていた方も多数いるのですが、私自身はそれぞれの方がどのような形で妻と交流をもっていたのか、今となってはほとんど分かりません。
困ったのは、葬儀後に参列できなくて残念ですという言葉と共に、いろいろな贈り物がきたことです。もちろんお礼の返事を書く必要があるのですが、相手がどのような交友関係の人だったのかさっぱり分からないため文面作成に苦労しました。
そして1年が経過し、先日なんとか一周忌を無事に済ませることが出来ましたが、やはり妻と親しくしていたと思われる方から、お悔やみの手紙等をいただきました。
ところが名前を見ても、私にはどのような人なのかさっぱり分かりません。返事を書こうにも文面がまったく思い浮かばず、大変悩みました。
これも実は生前もう少しいろいろと妻と話し合っていれば、自然に分かることだったなと悔やまれます。夫婦生活はいつの間にか少しずつ会話が減り、互いに分かったつもりで一緒に生活していますが、実はちっとも分かっていなかったんだということを、今更ながら思い知らされています。