家族が出来ること

 この病気に対して家族が出来ることは、寄り添って励ますことだけだ。なんとも歯がゆい。人工呼吸器の扱いをどうするのか、親戚中で検討すべき時期が来た。

 妹さんたちには、医者のほうから頃合を見て話をしてくれることになったが、ショックは大きいはずだ。私自身、このままYがやせ衰え衰弱していくのを見るのは耐え難い思いだ。

 夜、Yよりメール。熱は36.8度まで下がり、着替えもして(熱の汗でかなりぬれた)さっぱりしたようだ。明日調子がよければMRIが行われる。

 しかしこれだけ回りが神経質に騒ぎ立てれば、本人もなんとなく今後を予測しているに違いない。しかし口に出してしまったら、それが確定してしまうようで恐い。今後のことをいろいろ考えると不安で、相変わらず眠りが浅い。


 7月7日(土)、転院20日目。入院生活も最初の病院を含めると一ヶ月を迎えた。

 昨日の主治医の話で、寝不足気味だ。朝、5時前に目が覚めた。昼を食べてから病室へ。「昨日よりも悪化していたらどうしよう」と思いつつ、なるべく明るく振舞うよう努力して入室。

 想像以上に元気だったので安心。薬の効果が表れているのだろうか。そんなに早く効くわけは無いと思うのだが。

 持参したBGM用のスピーカーをセットした。我が家は10年程前からハワイ旅行にはまっている。今回の入院騒ぎで、今年の夏に予定していたハワイ旅行はすべてキャンセル。Yともどもひじょうに残念に感じている。

 しかし先ずは治療が最優先だ。とはいうものの、せめて病室にはハワイの雰囲気を持ち込みたい。個室なので多少の無理はきく。というわけでMDとパソコン用のスピーカーを持ち込んで、ハワイアンをBGMで流そうというわけである。

 ちなみに病室の壁には、過去の旅行で撮影したハワイの写真が、すでに何枚も貼られている。治療に訪れた医師や看護士さん達にも好評だ。治療を続けるためには、「早く良くなってハワイに行くぞ」、というような目標を持つことが大事だ。

 翌8日(日)、転院21日目。息子とともに昼過ぎに病院へ。入院騒ぎから一ヶ月以上が過ぎ、さすがに息子もなんとなく寂しそうだ。

 学校から帰ってきても母親がいない、という状況は心理的に辛いはずだ。そう思って、「寂しくないか」と時々聞いてみるが、遠慮しているのか、「大丈夫」という返事が返ってくる。「寂しい」と言われたらどうしよう、と逆に考えてしまうが、今のところ問題は無いようだ。

 病院の駐車場で偶然妹さんに会ったので、金曜の急な発熱について、私の知っている限りを話し、その他のことは主治医に確認してくださいと伝えた。

 この日のYの体調。体温は36.8度。朝食を食べようとするが、咳が出て食べられない。採血後、体重測定。点滴で栄養剤を入れているせいか、変動が激しい。

 昼食後は咳も落ち着いた。栄養剤以外にビタメジンW、カルチコール(体内のカルシウムを補給する薬剤)が点滴されている。これまで感じていた味覚異常が薄れ、しびれも減ってきたようだ。胸の発赤も薄くなった。血圧、酸素濃度共に良好だ。

 息子が我々の会話の合間を縫って、新しく買ったゲームの内容を一生懸命説明している。久しぶりに家族一同が集まり、落ち着いた雰囲気だ。

 昨日備え付けたスピーカーからハワイアンのBGMを流す。主治医が入室し、「発赤が引いているのは薬が効いている証拠です。ステロイド剤のブレドニンの効果が表れています。」と心強い言葉を丁寧にかけてくれた。

 本人が元気そうな様子だと、こちらの精神的負担も少ない。毎日症状が変わるので、それに振り回される感じだが、一番大変なのは患者本人だ。


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