外部環境と瞑想

 仮に呼吸を意識し、リラックスした状態で目をつぶった時、体の中ではどのようなことが起きるのか。これが分かれば病気に対する治療が有効であるかどうかも分かるはずです。

 ただし上に書いた瞑想法では、その方法がまだ漠然としています。瞑想しながら何かを考えるのか、頭の中を通り抜ける思考をそのまま観察するのか、さらには何も考えないように努力するのか。

 ネットで調べてみても、隔靴掻痒、肝心なところがよく分かりません。ただ瞑想を行おうと思ったら、誰もが考えつくことは、「目を閉じて深く呼吸する」ということではないでしょうか。

 では何故目を閉じる必要があるのか?目というのは、外部から取りこむ情報量としては最も多いものだと思いますので、これを使わないと言うことによって、外部からの刺激を極力減らす、と言うことが大事なのかもしれません。

 と言うことは必然的に、まぶたを通して光が入ってきますから、部屋は少し暗い方が良さそうです。

 耳はどうか。これは面白いことに目と違って、リラックスできるような音楽を聞くことが瞑想の助けになる場合もあります。

 もちろん何も聞こえない状態とか、自然現象の風の音とかも意外にリラックスできそうです。(聴力検査で無音室という部屋に入ったことがありますが、これは奇妙な感覚で、何も聞こえないのは不安だなと感じました)

 これは鼻も同様。嗅覚ではアロマの刺激によって、かえってリラックス出来る場合もありますが、森に入って樹木の臭いを嗅いだりしてもリラックス出来ます。

 であるなら目もリラックス出来る場合もあるのかなと思って考えてみると、確かに美術館等に行って、思っても見ない美しい絵を見たりすることによって、自然に精神的な安らぎを得ているような気がします。

 皮膚感覚については、感覚そのものが目や耳、鼻ほど鋭敏ではないのかもしれませんが、やはり蒸し暑いときは不快ですし、逆に入浴中はリラックス出来るような気もします。

 そうやって考えていくと、瞑想というのは、人間の外部からの刺激をなるべく少なくするか美しいものにするか、さらには自然環境に近いものにして自分の内部を見つめる、と言うことなのかなと思えてきました。

 従って、これはあくまで私個人の考えですが、先ず瞑想しようと思ったら外部環境を整えた方が良いのかもしれません。それが難しいようなら、目を閉じるというように、逆に外部からの刺激を極力減らすと言う物理的な操作が必要なのかもしれません。

 いずれにしても、外部から感じる刺激は極力心地良いものにして、それが実現できない場合は、薄暗く、静かで何の臭いもせず、人工的な空調とかも使わないような環境もしくは、すべての人工的な環境を取り去った、ひとけのない山の中や海辺という所が、瞑想環境として良いのかなと思えます。

 さてそれではそういった環境が整ったとして、次に静かに呼吸することによって、何が変わるのか?これを考えたいのですが、ここまで書いてようやく少しずつ私にもイメージがつかめてきました。

 結局病気治療を目的にした瞑想の行きつくところは、先ず体全体のリラックスにあるのかなと思えてきました。

 言葉を変えればストレスのない状態を意識的に作り出すと言うことです。そのことによって、体全体の神経系の歪みを補正し、正常な状態に戻し、ストレスが原因の歪みを正すと言うことなのかなと思えてきました。


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