12日(火)。Yのお母さんから病院に要望が伝わり、運良く個室が空いていたので早速移動となった。ナースステーションのすぐ近くで、部屋も広くなった。午前中は甲状腺の関係からか、首のCT、さらに上半身のレントゲン撮影が行われた。
仕事を1時間ほど早く切り上げ、息子とともに病室へ。息子にはYの病気について、まだ詳しく説明していない。体調不良ということにしてある。
「寂しくないか」と聞くと、「口うるさいのがいなくなって良かった」と強がりを言っている。しかし入院が長引くと気持ちも荒むだろう。しかし入院期間がどの程度になるのか、この時点では見通しがまったく立たなかった。
入院当初は急性腎不全という言葉から、「まあそんなに長引かないだろう」と思い、「息子と二人で、しばらくは自宅でキャンプ生活をするつもりでがんばろう」、と考えていた。
しかしその後、診断結果が確定するにつれ、入院もどんどん長引き、長期的な視点で考えざるを得なくなっていった。仕事、家事、息子の世話?と病院通いの四重生活が始まり、にわかに身辺が忙しくなってきた。
食事も自炊せざるを得なくなったが、最初は食器や調味料の場所がわからず困った。食器洗い機や電子レンジ、洗濯機、掃除機等、電気製品はすべてカタログを探し出し、一から読み直しだ。
何をやるにも時間がかかる。家に帰って食事の準備、食べて片付け、風呂の準備、洗濯、週末は掃除、朝は洗濯物を干し、ゴミ出し。
仕事をしながらの子育てと家事はなんとも辛い。しかしやらなければ生活環境が悪化するのは間違いない。私一人ならともかく、子供のことを考えなくてはいけない。
一方、Yは広めの個室に移り、話がしやすくなった。しかし、「病院というところは意外にうるさい」という印象をもった。四六時中廊下を人が行き交い、電話や検査機器の音が聞こえる上、医療関係者は深夜まで話しをしている。
Yの顔つきはしっかりしてきて、熱も下がりつつある。元気な様子なので安心して帰ってきた。
これまで入院患者の見舞いなどというのは、すべて遠い親戚か見ず知らずの他人であったため、患者の容態にこれほど自分自身の感情が左右されるとは想像もしていなかった。
元気そうな姿を見れば安心してこちらも明るくなるが、辛そうな顔をしているときは、こちらも落ちこむ。
この影響をまともに受けたのが私の母親である。もともと小心者で、常に自分の健康状態を気にして、どちらかというと物事を悪いほうに悪いほうに考えてしまう性格なので、Yの容態が芳しくないと、母親まで、めまいや吐き気、不眠などを私に訴えてくる。
私にしてみれば、患者が二人になったようなもので、これは心理的にかなり大きな負担になった。