私への最後の言葉は
「大丈夫、大丈夫!」
 

 2月23日(月)。朝7時半に病院より自宅に電話。意識が朦朧とし始めたので、話ができるのは最後かもしれないという恐ろしい連絡。

 急遽仕事を休みにして、私の実家と妹さんに電話連絡。気が急いて、何から準備を始めたら良いか思いつかない。ただただ早く行かなければという思いに駆られる。

 息子を学校に送り出して病院へ。8時20分に病院着。受付には誰もいない。面会証ももらわず、いっきに駆け足で病室へ。看護士さんが付き添ってくれていた。

 酸素吸入の数値はほぼ最大値。しかし酸素濃度は94しかない。「ご主人が来ましたよ」と看護士さんが声をかけると、「あー、来たんだ」とか言いながら意識が戻る。「大丈夫か」の問いかけに、反応は遅いが「大丈夫」との返事。

 肩をさすりながら記録をとる。テレビの音を聞きながらうつらうつらしているが、時折ふっと目が覚めて、うわごとのようにしゃべる。8時50分、酸素濃度が88に低下。しかしすぐに92に上昇。マスクのちょっとした位置のずれで変動するようだ。

 酸素が上がると意識も戻ってくる。しかしすぐに90に低下。入院当初はマスクなんかまったく必要なく、100%という数字を維持していたのに、無残なほどの変わりようだ。肺炎は本当に恐ろしい。

 ちょっと意識が戻ったときに「明太子のおにぎり」と「バームクーヘン」が食べたいと言う。ひとかけらでも良いから食べさせてやりたいが、すぐに言った事を忘れるように眠り込んでしまう。「元気になればいくらでも食べられるよ」と耳元で励ます。

 9時28分、酸素90。主治医が様子を見に来るが、ほとんど会話が成立せず、見守るだけという状態だ。9時32分、突然起きだし水とロイヤルミルクティを二口ずつ飲む。実においしそうに飲む。酸素93から95に上昇。

 10時、点滴からバッテリーがはずされ、栄養剤がなくなり身軽になった。普通なら回復傾向と考えるところだが、これはこれ以上栄養剤を入れても意味がない、という医師の判断だろう。

 すでに栄養剤を吸収する体力もなくなっているのだ。残りは体液保持のための、ビーフリードとソルデムのみ。

 これまでの習慣で、点滴が外れたことを記録しようとYは起き上がるが、すぐに酸素が82まで下がってしまう。「代わりに書くから」と言い聞かせて、肩を抱くように寝かせる。

 10時14分に94まで何とか回復。意識が少し戻ったところで、昨日送ったメール、「心底愛しているよ」という画面を見せる。分かってくれたようで頷いてくれた。それだけでもうれしくなり、思わず涙がはらはらとこぼれ落ちる。ティッシュが何枚あっても足りない。

 10時55分、酸素が突然89に低下。マスクの位置を数ミリメートル単位でずらし調節。92に復活。最後は、化学療法と体力に加えて愛情だと信じて、体をさする。

 これができるのもあと数日かという意識が頭の片隅にあり、必死に疑念を振り払う。これまでは人前ではあまり見せなかったが、臆することなく手を握り締め、愛情を注ぐ。

 11時。今日は雨で外も暗いので、朝と昼の区別も本人はつかなくなっているようだ。うつらうつらするたびに、うわごとのような言葉を口走り、夢と現実の区別もつかなくなりつつある。明らかに意識混濁が進んでいる。

 11時20分、突然意識が戻り、トイレに行くという。看護士さんと協力して介助し、トイレへ。醜態は見せられないという執念だろうか。しかし戻ってくると酸素は81に低下。ベッドの端に座り込んで、しばらく肩で息をするだけの状態が続く。

 昨年夏ハワイに行って、元気にあちらこちら動きまわった姿が信じられない。無惨なほどの変わり様だ。息が落ち着いてきたところで、大好きなロイヤルミルクティを一口飲み、再び横になる。11時26分、酸素91まで回復。

 11時30分、トイレに行ったことで意識がはっきりしたらしく、テレビのニュースを見始めた。40分頃、妹さんとお母さんが来る。

 飲み物を飲むときの体勢や酸素濃度の数値の見方、マスクの位置の調節方法を伝えて、ちょっと階下のコンビニへ行き、おにぎり弁当をロビーで食べる。バームクーヘンをお土産にしたが、残念ながら口にしてもらえなかった。


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