パートナーの存在の重要性

 妻がいなくなり、1年前から、我が家は私と中学生の息子二人だけの生活となりました。いつも明るく、リビングでテレビを見ながらけらけら笑っていた声が聞こえなくなり、家の中はいつも静かです。

 息子は寂しいのかもしれませんが、寂しいと言ったところでどうにもならないと思っているのか、あまり辛い様子は見せていません。

 ある意味では助かっています。しかし時折「(私以外の)話し相手がいない」とか「兄弟がいればなあ・・・」とため息混じりに言うようなことがあり、そのときは申し訳ないなあ、と心底思います。

 それはそれとして、息子は妻が亡くなった4月に中学3年に進級し、今現在(2010年2月)は高校受験にチャレンジしています。母親がいればいろいろな意味で精神的な支えになったと思いますが、目下の所私だけが日常的にエールを送っている状態です。

 そんな中で1年間の父子家庭生活を過ごしてきました。病院通いがなくなったとは言え、日常的な食事の準備、掃除、洗濯、近所づきあいや家の管理と、やることは本当に多いです。

 食事の方はもともと作ること自体それほど嫌いではないので、新しいメニューも徐々に増え、ある意味では楽しみながら作っています。しかし仕事の方が今の時期は大変忙しく、精神的に疲れるなあと思っていたら、案の定体調を崩してしまいました。

 医者に行ってみると軽い「自律神経失調症」であるとの診断でした。

 どうやらここ数年間の父子家庭生活や仕事のストレス、妻がいない事による精神的な疲れがたまっていたようで、その上に学年末の仕事が忙しくなる時期がきっかけになり、いつのまにか精神的に追い込まれていたようです。

 そのことに気がついてから、仕事の方はなるべく他の人に任せられる部分を任せ、休める日はできるだけ休む、という方針をとったところ、最近はなんとか気持ちも落ち着き、自律神経不調による諸症状(血圧上昇、悪夢、不眠、食欲不振)からは解放されました。

 体調が悪くなると、いろいろ不安なことを思い浮かべてしまいますが、パートナーの存在は大きいんだなあとつくづく感じています。

 例えば夜半に悪夢で飛び起きて、心臓の激しい動悸を感じたことがありました。血圧を測ってみると、もともと高血圧気味ですが、下が100を越え、上も180を越えていました。

 これはいかん、倒れてしまうかもという不安を感じながら、一人静かに深呼吸を繰り返しました。

 やがて血圧の下が100前後に落ち着いたので、その日はなんとか少し寝ることが出来ましたが、以後、例え夜中に一人具合が悪くなって救急車を呼んだとき、いったい誰が玄関の鍵を開けて、救急隊員を部屋に導いてくれるんだろう、と改めて思うようになりました。

 もちろん息子がいるわけですから、息子に頼めばいいのですが、もし妻がいれば、たぶんそれだけで精神的に落ち着いていられただろうとも思います。

 しかもこの先あと10年もすれば息子も自分で生活を始めるようになり、場合によっては家を離れることも出てくると思います。そのときの自分自身の健康状態はどうなのか。先を考えてもしょうがないのですが、やはり不安です。

 一般的には、男性より女性の方が社交的ですから、近所の方と話しをしていることが多く、その意味でも女性の方が一人暮らしに強いんだろうなあと思います。

 であるならば、今の内から私自身も意識して、多少なりとも近所づきあいをしていかないといけないなと感じています。


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