葬儀の段取りについて

 普通は誰かが死亡した直後から、葬儀の段取りの打合せが始まります。しかし、入院し病状の回復が思わしくない状態が続けば、葬儀の可能性が出てくるかもしれないわけですから、その段取りを考えておかなくてはいけません。

 私自身は、妻が亡くなるその日まで回復の可能性を信じていましたが、万が一のことも考えておかなくてはいけないと思い、ネットを使って近所にある葬儀屋さんについて調べていました。無くなる3日ぐらい前だと思います。

 また職場の福利関係のパンフレットも同時に調べ、提携している葬儀屋さんも調べました。その中でいつでも連絡が取れ、自宅に近いところに斎場がある業者の目星をつけました。

 妻が亡くなったのは深夜です。うろたえながらもメモを取り出し、葬儀屋さんに、すぐに電話を入れました。寝ぼけた声の応答がありましたが、すぐに手続きが始まりました。

 葬儀屋さんが来るまでは、遺体は病室に安置。親戚が集まり故人を見守っていました。病院の方は死亡したことを告げたあとは、特に動きはありません。

 やがて葬儀屋さんがストレッチャーと共に病室に現れ、故人の衣服を整え、近くにいる親戚一同で故人をストレッチャーに移しました。生命の兆しのない体という物はひじょうに重いものだと言うことが分かりました。

 ストレッチャーと共に、そのまま病院1階の霊安室に移動となりました。霊安室ではすぐに線香がつけられ、静かにお参りをしました。涙を抑えることが出来ず、口から嗚咽がもれるのを必死に押さえつつ、冥福を祈りました。

 しばらく故人を見守り冥福を祈っていると、そこへ遺体を移動する車が到着し、葬儀場への移動となりました。

 自宅近くの葬儀場までは車で約30分。すぐに葬儀場の片隅にある遺体安置所に運び込まれ、再びお焼香。ここまで来て、時刻は6時頃。夜が明けてきました。

 私はいったん家に戻り息子を起こし、母親が亡くなったことを伝えました。息子の方もある程度予期していたのか動揺はありませんでした。職場と息子の学校に連絡。再び葬儀場に戻ります。

 戻って落ち着くまもなく、葬儀の段取りの打合せ。もとより葬儀の進行など全く分からず、葬儀屋さんの説明にふんふんと頷くだけ。

 ともかく亡くなったという現実が心に重くのしかかったうえ、深夜から活動しているので意識もなんとなくはっきりしない状態で打合せが続きます。結局言われるままに「お願いします」と頭を下げ契約終了。契約の中身を決めるだけで1時間以上かかりました。

 主な契約条項は、日程、式場の大きさ、祭壇の大きさ、献花の手配、棺や骨壺の手配(こんなものといっては失礼ですが、いろいろなグレードがあるのにびっくり)、通夜や葬儀の段取り、係員の手配、お坊さんへのお布施の額、香典返しの内容、挨拶状等々、それまで考えたこともない内容を一気に決めねばならず、本当に大変でした。

 しかもあとからいろいろ思い浮かべてみると、必要なかったかもというものがいくつかありました。

 過剰な花、やたら大きな祭壇、費用ばっかりかさんだ香典返し、必要以上に印刷した挨拶状、葬儀後自宅にまで設置した祭壇、やたら高額だったお布施、良く分からないままに購入したことになった文房具等々です。

 この辺のやりとりは、疲れていても決めなくてはならないという重圧もあり、さっさと決めてしまいたいという気持ちで、結構勧められるままに決定してしまいました。

 結果的に素晴らしい葬儀になりましたので、それほど強く後悔してはいませんが、事前にもう少し調べておいても良かったかもとちょっと悔やんでいます。

 ただ生前に詳細を調べると言うことは、本人の死を前提にするわけですから、当時はあえて調べることを避けていたというのが偽らざる心境です。


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