最後のリツキサン治療

 10月15日(月)。体温の最高値は36.9度で微熱だが、これまでの数値とは比較にならない低さだ。

 一方単純に喜べないこともあった。それは肺機能。どうやら入院時の高カルシウム症の影響で、肺全体が硬化しているらしい。そのため少し呼吸機能に衰えが見られるということだ。しかしY自身は、呼吸そのものに苦しさは一切感じていない。

 16日(火)。入院中の治療も、あとはリツキサン一回だけになった。食欲も回復し、栄養剤の常時点滴も必要がなくなり、ついにこれまでお世話になってきたCVが抜き取られた。

 つまり、体からすべての管がはずされた訳である。長かった。良く耐え忍んでいたと思う。これからは必要に応じて腕からの点滴となる。身軽になったところで呼吸機能検査、心エコーの検査が行われた。

 17日(水)。体温はまったく問題ない。この数ヶ月間の治療で、体重は5キログラム以上減少した。後半の味覚異常の副作用の影響が大きい。この日は骨髄検査とPET検査も行われた。

 肺機能が落ちているということで、より詳しく調べるために気管支内視鏡検査の承諾書を渡された。しかし内容を見ると、気管支に内視鏡を入れ、組織を採取すると書いてあったので、判断を保留させてもらった。

 より詳しい検査をしたからと言って、今より病状が良くなるわけでもなく、ましてや気管支内に異物を入れるとはとんでもない行為だ、という嫌悪感があったからだ。

 (私が喘息持ちなので、日頃から気管支が狭くなる症状の苦しさをよく知っていることもある)また組織を採取するといっても、よく聞いてみると、うまく採取できない場合もあるようだ

 。さらに、その際組織を傷つけたり、うまく採取できても必ずしも病変が見つかるわけではないことも聞いた。

 大学病院としては、組織を採取し研究した上で、治療の参考にしたかったのかもしれないが、患者や家族としては、現状の回復傾向から考えると、到底承服しかねる唐突な提案だった。

 18日(木)、転院122日目。すっかり平熱に戻った。体重こそ増えていないが食欲は増えてきた。

 今日は入院期間内最後の治療であるリツキサンが投与された。これまでも投与されているし、もともとこの薬剤の性質として、初回投与時にはいろいろな副作用が出ることが多いらしいが、それ以降はあまり出ないことが分かっている。

 そのため今日の投与も初回投与時のような緊迫感はなく、看護士さんたちもリラックスして治療を行っていた。

 本来ならここまでは84日で済むはずだったが、途中数々の副作用や発熱に対処したため、結局終了したのはほぼ2週間遅れとなった。

 それでも入院当初の病状から判断すると、よくぞここまで回復したと思える。主治医や看護士さんたちも同様な思いではなかっただろうか。

 リツキサン終了後、一時的な腕からの点滴もはずされ、ついにすべての制約から解放された。もっとも抗がん剤の副作用で、手足の先端には痺れが残り、髪の毛は、また生えてくると言われてはいたが、現状ではまったくない。

 また長い入院生活と抗がん剤の影響で、足の筋肉が衰え、100メートルほどの距離すら、休み休みでないと歩けなくなってしまった。


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