6クール目開始

 11月23日(日)。再々入院91日目。

 息子と一緒に病院へ。食欲もあり、回復期の兆候が顕著だった。しかし血球の増加率は低く、6クール目は前回同様ほぼ2週間遅れで始まりそうだ。

 中断を決定すべき時期だと頭では分かっているが、中断して良い結果が得られるのか、結局再発してしまうのか、全く予測が出来ず決断するにはいたらない。

 26日(水)。Yも入院が3ヶ月を越え、ストレスがたまってきたようだ。滅多に不満を言わないYが、主治医にいろいろ不満をぶつけたらしい。病院側もYのストレスに配慮したのだろう。今日は短時間の外出許可が出た。病院近くのお店で一緒に昼食。

 検査結果を見ると白血球も血小板もなかなか正常値に復帰しない。特に血小板の数値は悲惨。それでも外出したことにより、6クール目への心の準備が出来たようだ。

 これさえ終われば、その後は抗ガン剤はないので、回復に専念できるという読みもある。それならなんとか体力は持ちこたえるだろうと考えた。

 一方病院側としても、血球回復の遅さには気が付いているし、Yの体調も必ずしも万全ではないことが分かっているので、開始の時期を慎重に探っている。

 ノイトロジンで白血球を増やし、輸血で赤血球、血小板を補っている。マキシビームといった抗生剤も処方されている。

 またY自身が、薬の副作用や治療へのストレスから不眠症気味になったため、マイスリー(入眠剤)も使われ始めた。

 中断の決断が出来ないまま6クール目開始となったが

 29日(土)。今日から、予定された最後の6クール目が開始。

 抗アレルギー剤を服用後リツキサン。リツキサンについては、ほとんど副作用はない。白血球が正常値に復帰したので今日から開始できたのだと思うが、血小板は57で、今後骨髄抑制が強く出ると、血小板不足による疾患が予想される。

 私もYも、ともかくこれが最後のクールだから、なんとか乗り切って、来年もハワイ行きを目指そうと考えている。来年はYも車椅子は使わず、リハビリをきちんと行い、自分の足であちこち歩いて行きたいと強く念じている。

 30日(日)。息子と共に病院へ。談話室で一緒に昼食を食べる。治療初日なので副作用もなく、血球数が少ないことを除けば特に問題はない。

 通常の抗がん剤が使われた以外に、吐き気や嘔吐を抑えるカイトリルという薬が処方されていた。この投薬は12月3日(水)まで続く。

 12月1日(月)。血液検査結果を見ると、白血球が一昨日の5400から1220に急降下。さらに赤血球や血小板も減っている。

 3日(水)にはさらに低下したため、骨髄抑制が強く出るキロサイドが投与中止になった。4日(木)は下降した血球を回復させるため、抗がん剤投与は行わず、赤血球と血小板を輸血。結局6クール目は病院側の判断で中断となった。

 病院側が、あれほど固執していた6クール目の治療を中断するのは、かなりの決意が必要なはずだ。

 その決断にいたる理由を、このときもう少しきちんと主治医に追究すればよかったが、私とYは治療期間が減ったことを単純に喜んでいた。またすでに終了した治療内容を追求してもしょうがないとも考えていた。

 5日(金)。発熱もない。7日になり口内炎の副作用が出る。再び連日のようにノイトロジン。しかしすんなりと数値が上昇しない。また血小板を輸血しても数日しかもたない。しかも常に最高値が70を切った状態で、標準値の148以上の半分以下だ。

 それでも治療そのものは終わったのだから、最後の抗がん剤の副作用期間さえ終われば、数値は改善するだろうと思っていた。もちろん主治医もそのように説明してきた。

 前回体力が回復してきた時期と今回も同じだとすると、退院はクリスマス前後になりそうだ。だとすれば、年末年始は自宅や実家でゆっくり出来る。常に不満だった病院食を食べずにすむから、この時期でさらに回復するはず、と二人で話し合っていた。

 8日(月)。またもや血小板輸血。一方CRPも2.13とわずかに上昇。白血球も310とひじょうに少なく、好中球も10しかない。この先間違いなく発熱が始まると予想できた


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