すぐに再入院

 12月25日(水)。かねてから予定していた、清水への旅行の日だ。まだ充分体力も回復していないし、軽い咳も出ているので無理しないで中止にしたらと再三説得するが、Yはともかく「清水に行ってマグロを食べたい」と言い続ける。

 当日は10時半に実家に行き、Yの体調を最終チェック。やはり咳が出ている。熱は少し下がっている。体調は良さそうだが食欲がない。出発直前まで出かけるかどうか迷うが、入院中からYが強く希望していた旅行なので、最終的に出かけることを決断。

 初日は富士市から海辺をドライブ。海を眺めるYの表情は何かを思い詰めているようで、声をかけるのが躊躇われた。

 清水の魚市場を見て、早めにホテルへ。ビジネスホテルだが、評判通りよいホテルだった。しかし夕食を食べるために歩き回る元気はないらしく、息子と2人で夕食。その後近くのデパートでYのために軽めの弁当を買って持ち帰る。 
 
 26日(木)。清水から、海沿いに静岡方面へドライブ。Yは一心に海を見つめている。何を思っているのだろうか。声をかけずらい。

 昼食は用宗港近くで摂るが、Yは食欲がなく、段々心配になってきた。途中で休憩後早めにホテルへ戻る。今日も夕食は息子と2人。Yは食欲なしでホテルに待機。

 27日(金)。朝起きて様子を見ると、点滴跡に皮下出血があるのを発見。食欲なく、だるさが出始めたと言う。

 これは血球数減少の症状で、これ以上体力を消耗するのは危険だと判断し、すぐに帰ることを決断。

 その場で病院の主治医に電話連絡をとり、帰りがけに病院に寄ることを伝えた。主治医も私と同じ考えで、血小板輸血の用意をして病院で待っていてくれることになった。

 昼過ぎ病院着。早速問診、血液検査。その結果CRPが16.82と上昇し、血小板は21と落ち込んでいることが分かった。

 咳は収まってきているので、CRP上昇の原因が不明だが、経過を見たいとのことで、そのまま再入院が決定。ほんの数日の外泊と変わらない結果になってしまった。

 しかし清水まで行き、海を見たことにYはひじょうに満足したようだ。治療にも再び前向きな姿勢が見られるようになった。

 今回の退院は、Y自身も体調に自信を持っていたわけではなかったようで、再入院が決まってもそれほど落胆した様子は見られなかった。

 とりあえず7〜10日の入院期間が設定され、年末年始は実家でという計画はなし崩しになってしまったが、Yの母親としても体調不良のまま家にいるより、万全の体制が整った病院にいるほうが安心できるとのことであった。

 28日(日)。再び入院生活が始まった。

 抗がん剤治療の影響で免疫グロブリンが少なくなっている。そこでヴェノグロブリン(血漿分画製剤)や各種の抗生剤を使い咳を抑えようとするが、なかなか効果が表れない。熱は微熱が続く。

 カルベニン(抗生物質)、ヴェノグロブリン、ムコスタ、ファモチジン(消化性潰瘍剤)、フルコナゾール、メジコン、バクタ、ムコソルバン(去痰剤)、レベニン(整腸剤)といった名前の各種の薬が処方されている。

 投与される薬剤の種類がやたら多くなってきた。そうまでしないと病状悪化を食い止められないということだろうか。

 29日(月)。血小板と赤血球の輸血。グロブリン製剤で体調が良くなってきたように見える。CRPが8.69に低下した。しかし相変わらず食欲がない。

 今回の症状はこれまでとどこか違っている。徐々に体の抵抗力のバランスが崩れているような、不気味な不安感を覚える。

 31日(水)。昨日より吸入も始まった。そのせいか咳が減り、CRPも5.04とさらに減少した。一方、血小板減少のためか、左手より出血があり、点滴を右手に刺し直した。

 4クールを終えた時点で治療を中止すれば、これほど血小板減少に悩まなかったのではないか、体力もかなりあったのではないか、とまたもや後悔する。しかしあの時は再発しないように、リンパ腫細胞根絶を目指していたのだから所詮結果論だ。


トップぺージに戻る  第9章 退院はしたものの  主治医の説明へ